氷河期に北方から陸路で入ってきた人種と、南方から舟で来た人種の混血が日本人の原点。これが縄文人。
その後、稲作の技術と共に大陸から入ってきた人種、いわゆる弥生人が混血し、今の日本人の基本となった。
それ以外の人種の大量流入はほとんど確認されていない。
発見されている遺跡や痕跡から推察できるのは、どの混血も支配的混血ではなく、融和的混血だったという事。
むしろこの時代が過ぎ、稲作が定住を生み土地の取り合いになってからが血生臭い戦乱の時代になっている。
縄文人同士は、そもそも絶対数が少ない上に土地が広く実り豊かであったため、集団で争うような環境に無かった。
定住もしていなかったから、トラブルが起きそうなら狩場を変えれば済む話だったために争いは発生しにくい。
その後の弥生人流入関しても、生活圏による住み分けが出来ていたためにさほどトラブルは起きなかったと考えられる。
縄文人は山、弥生人は平地が主たる住処だったため、むしろお互いの主産物を物々交換するなど良好な関係が築かれていたと見られる。
問題は、弥生人の稲作が軌道に乗り食料が備蓄できるようになると人口が増え、必然的に田畑も増え、その土地を容易に離れ難くなったころに発生した。
水利の関係上、近隣に弥生人の集落が複数あっただろうが、それらが水と土地の取り合いを始めたのである。
お互いに土地は動けない。水は欲しい。土地は広げたい。
そうなると争うしかない。
縄文人は狩猟民族だから荒々しく、弥生人は農耕民族だから温和だと思われがちだが、「集団単位の争い」を起こしやすいのはむしろ後者であるという現実がある。
実際、近年に至るまで戦争の理由は、思想(宗教)的理由を着ていたとしても、実質は「土地と水の取り合い」なのである。
結果、縄文人間では起こり得なかった大規模な殺し合いが、弥生人間で繰り返されるようなる。
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