曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」


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019 2019/09/12(木) 20:52:26 ID:P6RuffP7/Q
当時の漢人にとって、東海は不渡の海であり、都に住む人々は東海があることは知っていても、その向こうに土地があるなど思いもよらなかったのである。

楽浪郡、帯方郡を領有した公孫氏は、袁家を切り曹家につくことにした。
曹家に兵馬を向けられないよう、貢献を欠かさなかった。
貢献には、金銀財宝や絹布などや世の中の珍しい文物である。

珍物として思いついたのが、倭人であった。
公孫氏の前の漢の遼東太守蔡氏が、倭人を漢の朝廷に納めたことがあり、当時の漢主は海を渡ってきたという珍物をみていたく驚き、金印を与えたとされる。

公孫氏はこれを思い出し、馬韓に命じて倭人を取り寄せたのであった。
朝鮮半島の東夷が入朝してもやはり陸続きであれば、タダの東夷であるが、海を渡ってきたとなると、別格の珍物であり、魏主が手元の鏡を下賜したとしてもおかしくはない。

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