曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」


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001 2019/09/10(火) 13:45:05 ID:wo1YSGyKL.
中国の三国志時代の英雄で、魏の礎を築いた曹操(155〜220)。その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に出土したとされる重要文化財の鏡と「酷似」していることがわかった。

 中国の河南省安陽市にある曹操の墓「曹操高陵」を発掘した河南省文物考古研究院の潘偉斌研究員が、東京国立博物館で開催中の「三国志」展(16日まで)に関連した学術交流団座談会で明らかにした。

 2008年から行われた発掘で見つかったが鉄製でさびがひどく、文様などはよくわかっていなかった。同研究院でX線を使って調査したところ、表面に金で文様が象嵌(ぞうがん)され、
貴石などもちりばめられていることがわかった。潘研究員は「日本の日田市で見つかったという鏡『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)』とほぼ同型式である可能性が高い」と話す。

以下略
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E6%9B%B9%...

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016 2019/09/12(木) 14:59:38 ID:YemaTRFi6c
>>15
南越は、秦の官吏が百越の鎮圧と漢人、漢文化の移植のために赴任し、秦の滅亡に伴い、趙佗が建国した。
伝統的に和輯百越政策で周辺蛮族を手懐け、嶺南に封建国家を樹立した経験値の高い能吏王の国。
BC221からBC111まで五代続き、最後の趙建徳は、漢の武帝に滅ぼされたが、その行方は捕らえられて斬られたとも、船で西方に逃げたとも。
紀元前3世紀までの中国は、このような、エリート貴族が現地に乗り込み、国づくりをするパタンが多い。?なんかもそう。

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017 2019/09/12(木) 15:02:59 ID:YemaTRFi6c
>>16
いけね、常用漢字じゃないから、漢字が表示できない。?に眞(真の旧字)で「テン」。

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018 2019/09/12(木) 15:51:21 ID:YemaTRFi6c
首都番禺。ほとんど深?、香港あたり。
ここから西に逃亡なら海南島やら現在のベトナムやら。
東なら、沿岸航法で福州から台湾、台湾からは視認できる範囲の島影を目標に、琉球辿り、奄美、薩摩半島は可能かに思える。
たが、一箇所だけ問題がある。宮古海峡だ。
ここは、250kmもあり、島影を遠望できない。
地球が丸いから、4、5km先が水平線とはいえ、山があれば変わり、山立てと言われる望見方法で航海する。
横浜から筑波山も見える。
つまり、100km。遠望限界は、富士山のような高山がない限り、概ね100kmとみていい。
だが、そこに気象のイタズラ、海上蜃気楼が加わると、250km先の島影も見えてしまいかねない。
ちなみに、富士山が視認できる範囲の限界と言われる和歌山の某所からは、210km。

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019 2019/09/12(木) 20:52:26 ID:P6RuffP7/Q
当時の漢人にとって、東海は不渡の海であり、都に住む人々は東海があることは知っていても、その向こうに土地があるなど思いもよらなかったのである。

楽浪郡、帯方郡を領有した公孫氏は、袁家を切り曹家につくことにした。
曹家に兵馬を向けられないよう、貢献を欠かさなかった。
貢献には、金銀財宝や絹布などや世の中の珍しい文物である。

珍物として思いついたのが、倭人であった。
公孫氏の前の漢の遼東太守蔡氏が、倭人を漢の朝廷に納めたことがあり、当時の漢主は海を渡ってきたという珍物をみていたく驚き、金印を与えたとされる。

公孫氏はこれを思い出し、馬韓に命じて倭人を取り寄せたのであった。
朝鮮半島の東夷が入朝してもやはり陸続きであれば、タダの東夷であるが、海を渡ってきたとなると、別格の珍物であり、魏主が手元の鏡を下賜したとしてもおかしくはない。

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020 2019/09/12(木) 23:47:24 ID:buKzMs9E2E
>>16
でも、それは陸続きで目指す地の存在を把握してた場合でしょう
追われる身で南越から船で九州までは遠すぎるし、辿り着けてもそれまでに多くの兵士を失うから難しいと思う
既に交易がありルートが確立してて受け入れられたと考えた方が物理的には自然かと
南越の滅亡も書物により時期にかなりの隔たりがあるし、いつかの時点で滅亡・王が逃げたというより、自然に衰退し滅亡へと向かったとも考えられる

特に中国を一つの文化圏と捉える向きがあるけど、近年に発見されたものを見ると、やはり長江など別の文明・文化に思える
今の歴史は書物に依存してるから「存在しない」と言ってるだけで、本当は書物に記載されない別の勢力・国が存在する気がしてる
日本国内にしても一つの流れに沿った国のみが存在したと考えるより、2つ3つの勢力がその後統一したとするなら、
こういったある意味アンマッチな出土品の説明もつく

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021 2019/09/13(金) 07:45:10 ID:a7Ud1nu5YU
>>19
公孫康辺りなら、鉄鏡を曹操か曹丕から貰い受けてもおかしくはない。
日本の『新撰姓氏録』では、帰化人系の氏族の一つである常世氏は、公孫淵の子孫と称している。
常世氏の氏神、常世神社は大阪ではあるが、元は赤染氏であり、豊前香良にゆかりがある。

「赤染氏はもと豊前国田河郡香春郷の銅鉱山採集民であった渡来系工人たちを束ね、
香春三の岳にあった古宮(こみや)鉱山から採れる金、銀、銅、水銀、水晶、石灰などによって一家を成した」

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022 2019/09/13(金) 09:30:54 ID:5r6nF8vr4.
九州から四国関西地域の祖先は渡来人だから
シナチョンの末裔。

福岡やら大阪の阿呆を見ればよく分かるわな

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023 2019/09/21(土) 18:43:07 ID:LimF3B8JlQ
>>22 資料。

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